極楽ですか? 地獄ですか?
レンタル自転車の前の空気が減ってて、しんどいしんどい。
入り口からさらに、長〜い長〜い石段を駈け上がり、ハァハァ息を切らして境内に入ると、奈良盆地が一望できる超絶景‼️
ここ白毫寺には、私達を優しく極楽に導いてくださる『阿弥陀様』と、厳しく地獄に落としてくださる『閻魔様』が並んで揃っていらっしゃいます。
阿弥陀様は実に穏やかで、いいお顔。
あらゆる人を浄土に迎え入れ、永遠にその魂を救ってくださるお姿です。
飛天が舞う光背も大きくて立派です。
本堂にいらっしゃる、脇侍の観音菩薩は片膝をついて大きく前傾姿勢。いつでもお迎えに行けるよう準備してます。
勢至菩薩も同様に前傾。こちらは両膝をつく珍しい“跪坐”(きざ)という姿勢です。
出来たらこのこの方々にお迎えに来ていただき、極楽浄土に行きたいと思います。そう願いたいです。
でも、おそらく私はこの方↓のお世話になるのでしょうね…(^^;;
そう、恐ろしい閻魔様です。
閻魔様はもともと古代インドの神話に登場する神様(ヤマ)でした。こんな姿です。
このヤマという神様は、色々思うところがあり自ら死を望んで身体を捨て去り、冥界に入ります。そして後に続いてくる死者のために冥土への道を開発・発見して、自ら人類最初の死者となりました。それによって死の世界を支配する王となるが、この時にはまだ地獄という概念はなかった。
ほぼ、その概念が日本にも伝わる。
閻魔王の脇侍には、司録と司命という地獄の書記官が控え、死者の罪状を記録する。
このお二人の像は、すごくリアルで好きです。
嘘をついた者は地獄に堕ちた時、閻魔様に舌を引き抜かれる刑に処さらるという俗説になったらしい。
ところで、この恐ろしい形相の閻魔王の本当の姿ってご存知ですか?
このお地蔵様、どこか中井貴一氏っぽくありませんか?
そしてこの白毫寺のグッズには、こんな閻魔手ぬぐいがあり、人気だそうです。
しまった、買っておけば良かった(^^;;
あの世の入り口、ここヨ!
でも一体どうやって戻るのか?
それがこの井戸からなのだ(*^_^*)
この小野篁さん、とても面白い人物だ。あの小野妹子の孫であり、絶世の美女・小野小町の祖父。学者であり歌人でもあった彼は、身長188㎝もあるイケメン。しかも弓や馬術にも優れた文武両道のすごい男。しかも神通力の使い手。
しかし何故かすぐ許されて、その後高級官僚に登りつめる。しかし反骨精神が強く朝廷を批判したり、かなりな奇行も多く『野狂』と呼ばれる。…というのが彼の昼の顔。
で、夜は何をしていたか⁇
実は先ほどの井戸を通って夜毎夜毎地獄に通い、閻魔大王のもとで裁判の補佐をする冥界の役人だったのだ。えっ⁉︎ ほんま⁉︎
昼間は公務員、夜は地獄でバイト。身体が持たないっス…て事にならなかったのか?
すごい迫力のすごい表情。
彼の着物の袖がふわりっと広がっているのは、彼が井戸から地獄に降りている時の姿を描いているからとの事。
夜のバイトを終えた篁は、朝になると化野(あだしの)の副生寺の井戸や千本閻魔堂の井戸から地上に戻ってきたらしい。
六道珍皇寺では8月7日〜10日まで、お盆の精霊迎え『六道さん』を実施中です。
この期間だけの特別な色の御朱印もいただけるようですよ。
ご本尊は美しい薬師如来座像様。
以前、娘と訪れた際、井戸を覗き込んだ娘が『あぁっっっ⁉︎』と叫びました。
あの時、娘の眼にどんな地獄絵が映ったのか…⁉︎ それは未だ謎に包まれたまま(^^;;
高野山の光雲さんの幸運
開創1200年にあたる高野山では、本尊の秘仏・薬師如来(阿閦如来)が初めて御開帳されました。そりぁ何がなんでもお会いしなきゃ!と、5月のGWに行ってきました。
当時76歳になっていた光雲氏は「老い先短く、完成させる自信がない」と一度は断ります。しかし高野山側は「彫刻が終わるまで息災延命の祈祷をして死なないようにするから…」という強引さで口説き落とします。
そこから約4年もの時間をかけて素晴らしいご本尊様が完成する。しかも光雲さん、頑張りすぎたせいか出来上がりが大きすぎて建物の一部を壊して安置したらしいです。
光雲氏は晩年「ご本尊様を作らせていただく光栄を得た事は、はなはだ幸運であったと思う。不幸にまみれた人生でしたが、最後の最後にこんな幸運をいただけた事、誠に妙なものと考えます」
お顔も肉厚な唇、ガッシリした顎で彫りが深いインド人風。
私がGWにお会いした時は、少し遠くてここまでハッキリとお顔は見えませんでしたが…。
通常、ご本尊様は極彩色に着色するか金箔を貼って豪華に仕上げるが、これは白木のまま。
白木の表面に奥之院の土を塗っているらしい。お大師様の祈り、命を塗り込んでいるということらしいです。素晴らしい。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛。
さて、このご本尊様の名称ですが、阿閦如来説と薬師如来説の二説あります。『高野御幸記』や『高野春秋巻第一八』には本尊は薬師如来であると記してますが、尊容は阿閦仏。そのため阿閦如来と薬師如来の同体説もある。
実は大正時代中頃、点検の名目で一度だけ開扉して本尊を拝したという話があります。しかし、その時どんなに目を凝らして見てもどうしてもそのお姿は見えなかった…との言い伝えが残っています。そして、その時ご本尊を拝見した三名の内、二名は直後に相次いで亡くなったとも…。
これは4月に行われた記念大法会の時の様子です。
そして今また、固く扉は閉ざされてしまいました。
はてさて次またいつか、何百年後? 何千年後?かに、御開扉される日は来るのでしょうか?
深沙大将と岸辺シロー
前回に続いて高野山です。
蛇や象などを身に着けて、髑髏を胸に巻き、超太い眉毛を吊り上げ、大きく裂けた口からは牙をむき出し、首の血管は今にも切れそう!
カッコよすぎです!
もう少しアップにすると…
ほら、ますますカッコいい!
諸説色々ありましたが、今ではあの快慶作と言われています。
後に『大般若経』600巻を翻訳することになる玄奘三蔵(あの有名な三蔵法師)が天竺に向かう旅の途中、砂漠で一滴の水もなくなり、まさに息絶えようとした時、流砂の中からガバーーッと現れて玄奘を助けたらしい。
うわっ、こんな巨大なのかよ(^^;;
確かに脚を見ると象の口から足が出てる。あの大きな象の頭が半ズボン状態になってるって事は、全身ではこれくらい大きくて当然なんだ。
これは同じ快慶作の京都・金剛院の深沙大将の脚ですが…。
さらにネックレスみたいに巻いてる七つの髑髏は、七度生まれ代わったと言う玄奘の、それぞれのドクロ💀💀💀💀💀💀💀らしいです。
なので砂漠の熱風や悪疫の難を除く旅の守護神としても祀られるようになりました。
それがよくわかりませんが…。
金比羅さんと大天狗
『昔も今も、こんぴらさん』展に行ってきました。
金刀比羅宮って名前だけはよく聞きますが、でもよくは知らない…って存在でした。
伊勢神宮と並んで江戸時代から庶民信仰の拠点であり、一生に一度はお参りしたい❗️と皆が願う社と思ってたんですが、
実は、お宝ゴロゴロ。なんと文化財 3000点以上なんですって‼︎
金毘羅大権現時代、観音堂の本尊だった十一面観音様。
頭上の化仏が失われているので、十一面様らしくはないのですが、荒彫りで素朴ながら深い衣文や、鮮やかに彩色されてたであろう装飾などが素晴らしいです。
お顔も優しさと野生味を兼ね備える深〜い表情をしていらっしゃいますね。
思わず手を合わせてしまいます。
そして私の大好きな不動明王像。
でも、矜羯羅童子はなぜ困ったような顔をしているんやろ?
この崇徳天皇が凄まじいです。
悔しさと怒りに震えながら崇徳上皇は「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」と、自らの舌を食いちぎり、その血潮で大乗経に呪詛の誓文を記し海底に沈める。
それ以後は髪も爪も切らず、生きながら〝天狗〟となった。
死後は怨霊、大天狗となって人間界を荒らしたとされる。ざっと紹介すると、毒の息で都に疫病を流行らせ貴族や大臣を病気や死に追い込み、延暦寺の強訴、鹿ケ谷の陰謀などを引き起こしたとされてます。
天狗伝説は色々と調べると面白いです。
元々仏僧の死後の魂が天狗になるとされていて、凄まじい怨霊の念がある場合も、その人は天狗になるらしい。
この展覧会は7月12日まで。丸山応挙の「鶴の間」「虎の間」「七賢の間」の障壁画が素晴らしいです!
どこから見ても睨み返してくる「八方睨みの虎」も待ってますよ。
【番外】哀しい哉 悲しい哉…
多くの弟子の中でも、空海が最も深い愛情を注いだ弟子が、智泉でした。
空海がエリートの道を捨てて突然仏教を志し、山林修行に明け暮れていた20代の頃。
8年間、一日も休まず難工事を続けた智泉は無理がたたり、ついに倒れる。報を受けた空海は駆けつけた。必死の祈りも虚しく 智泉は37歳の若さで命を引き取ります…。
その瞬間、空海は絞り出すようにつぶやいた。
哀しい哉 哀しい哉 哀れが中の哀れなり
悲しい哉 悲しい哉 悲しみが中の悲しみなり
哀しい哉 哀しい哉 また哀しい哉
悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉
ものすごい悲しみだ。読んでるこちらまで胸が苦しくなるような悲しみの塊が積み重なって迫ってくる。
私たちが訪れた日も、智泉が好きだったという紫陽花が見事に咲いていました。
元は三重塔に納められていた
普賢菩薩騎象象。
画技に優れていた智泉が、空海の指導に基づいて制作したとの事です。
全体にほっそりとされていて、たおやかな佇まい。清楚で気品に満ちたお顔の普賢様と、蓮のつぼみを鼻先に持って笑っている白い象。
この普賢菩薩様自身も、どこか優美で静かな女性らしさを感じますよね。
智泉大徳の事、智泉を想う空海の事を胸に、
先日私も静かに合掌させていただきました。