高野山の光雲さんの幸運
開創1200年にあたる高野山では、本尊の秘仏・薬師如来(阿閦如来)が初めて御開帳されました。そりぁ何がなんでもお会いしなきゃ!と、5月のGWに行ってきました。
当時76歳になっていた光雲氏は「老い先短く、完成させる自信がない」と一度は断ります。しかし高野山側は「彫刻が終わるまで息災延命の祈祷をして死なないようにするから…」という強引さで口説き落とします。
そこから約4年もの時間をかけて素晴らしいご本尊様が完成する。しかも光雲さん、頑張りすぎたせいか出来上がりが大きすぎて建物の一部を壊して安置したらしいです。
光雲氏は晩年「ご本尊様を作らせていただく光栄を得た事は、はなはだ幸運であったと思う。不幸にまみれた人生でしたが、最後の最後にこんな幸運をいただけた事、誠に妙なものと考えます」
お顔も肉厚な唇、ガッシリした顎で彫りが深いインド人風。
私がGWにお会いした時は、少し遠くてここまでハッキリとお顔は見えませんでしたが…。
通常、ご本尊様は極彩色に着色するか金箔を貼って豪華に仕上げるが、これは白木のまま。
白木の表面に奥之院の土を塗っているらしい。お大師様の祈り、命を塗り込んでいるということらしいです。素晴らしい。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛。
さて、このご本尊様の名称ですが、阿閦如来説と薬師如来説の二説あります。『高野御幸記』や『高野春秋巻第一八』には本尊は薬師如来であると記してますが、尊容は阿閦仏。そのため阿閦如来と薬師如来の同体説もある。
実は大正時代中頃、点検の名目で一度だけ開扉して本尊を拝したという話があります。しかし、その時どんなに目を凝らして見てもどうしてもそのお姿は見えなかった…との言い伝えが残っています。そして、その時ご本尊を拝見した三名の内、二名は直後に相次いで亡くなったとも…。
これは4月に行われた記念大法会の時の様子です。
そして今また、固く扉は閉ざされてしまいました。
はてさて次またいつか、何百年後? 何千年後?かに、御開扉される日は来るのでしょうか?